テレビ制作の裏側で働きたい

Eさん/ 読売新聞社・NHK内定


目指すものを追い続ける大切さ

 中学3年の時から、漠然とマスコミ業界で働くことに憧れ続けてきた。 その頃からよくドラマを見るようになり、虚構であるドラマで取り上げられた題材が社会現象化することもある、というテレビの影響力の大きさを知り、魅力を感じたからだ。大学でもテレビに関する勉強がしたいと思い、その興味に従って大学と学部も選んだ。狭き門と言われるマスコミ一本に絞って就職活動をする自信はなく、興味が湧いた会社は業界を問わず受けたが、内定を頂いた会社はテレビ局と新聞社という結果に、本当に自分が目指すものを追い続ける大切さを教えてもらった。「就職活動は縁」だと言われるが、NHKは一番多く説明会等へ参加した企業であり、縁を結ぶきっかけは自分が作っていくものだと振り返ってみて思う。縁だから、ということを理由にせず、本当に目指すものはとことん追い続ける以外に近道はない、ということが就職活動を通して学んだ一番大きなことだ。

 大学では、メディア関連以外の分野も多く学び、また所属したサークルでの舞台製作の活動に目覚めるなど、その時々の自分の興味に従って目の前のことに没頭する生活を送ってきた。就職活動を始めた当初はテレビと舞台の両方に焦点当てていた。マスコミは選考が早く筆記のウェイトも高い、と意識はしていたが、気が付けば既に3年の夏休み。慌ててマスコミのインターンシップに応募するもESで落選。マスコミの厳しさを改めて思い知らされたが、具体的に何をすべきなのか分からず、自己分析セミナーや業界研究セミナーなど気になったものに参加することから始めた。 10月頃からマスコミに関連したセミナーや会社説明会に参加。 11月に初めてNHKの説明会に参加した際、職員の方々のまっすぐな思いと真摯な姿勢に触れ、自分の中で沸々と湧き上がるものを感じた。 この職員の方々と一緒に働きたい、その思いが心の中に強く残り、徐々に第一志望群として固まっていく。


自己分析を通して新たに見えた自分の一面

 私が就職活動を通して苦労したものの一つに自己分析が挙げられる。ちょうど同じ頃、初めてOG訪問をした。 自分がやってきたこととやりたい仕事との関連性がつかめず、どう繋げたらいいのか悩んでいたのだが、「やりたい仕事というのは、大学までに自分がやってきたことのなかから紡ぎ出されるはずで、本来そこは結び付いているもの」という先輩の言葉に、それまで何となく避けていた自己分析の大切さと職種に対する認識の低さを痛感し、大きなショックを受ける。

 12月頃から本を買って自己分析に取り掛かったが、小学生の頃から遡って過去を振り返るといったことに意味を見出せず途中で飽きる。 結局は大学生活だろうと開き直り、あまり時間もなかったため、大学生活で最も力を注いだ舞台スタッフの活動に絞って分析を始めた。 自分が務めた役職毎に、最もやりがいを感じたことや印象に残っていることを思いつくだけ書き出し、その時々になぜやりがいを感じ、なぜ印象に残ったのか、を細かく突き詰めた。 ふと自己分析のヒントとなることが頭に浮かんだり、色んな角度から一つの出来事を振り返ることができるようになって、こんな作業を繰り返すうちに、いつしか単なる事実の羅列が自己分析と呼べるものに変わっていった。 この自己分析法から、それまで制作職を中心に考えていたが、自分は宣伝や広報など、制作の現場を支える仕事の方にやりがいを感じることに気付く。 1月末か2月上旬くらいだったと思うが、この結論が自分の中で軸として固まって以降、就職活動に対するモチベーションが一時的に上がる。

 年が明けてからは3月上旬頃までは、会社説明会に行きながら、家にいる時はひたすらESに向かう日々を送る。 雛形を作ってしまえば楽と言われるが、会社によって若干ニュアンスの違いがあったりと、このES作成には予想以上に時間がかかった。 書いても書いても締切に追われ、9割以上のESは締切前日に郵便局に駆け込んで速達で出した、というのは大きな反省点でもある。 実際、NHKのESはろくに見直しもできず、後で読み直してはこれを面接で使用されると思うと恥ずかしいという苦い思い出が……。


就活が進むにつれ志望分野が広がっていった

 2月上旬に行われた読売新聞社の説明会への参加が、この時期の自分にとって大きな転機となる。 新聞社は事業志望で受けようと思っていたが、記者への漠然とした憧れもあったため、業務と記者職の両方の説明会に参加。 その説明会で、ある女性記者の方が仕事のやりがいとして挙げられた「人と喜怒哀楽を共有できること」という言葉に、人と共感できる幸せは喜びや楽しみだけじゃないと気付き、その日以降新聞社は記者職へと志望を転向。 NHKを記者で受けることも考えたが、自分の興味のあるテーマにじっくりと向き合うことができる、という点が記者の魅力だと考えていたため、NHKは放送管理の広報で志望した。 この時点で、テレビでNHK、新聞で読売、舞台で東宝、というこの3社を第一志望群とする構図が確立。私の場合、就職活動をするにつれ、志望分野が狭まるどころか広がっていった。

 2月下旬から本格的に選考がスタート。 2次面接まで進んでいたRKBと小学館が3月下旬に行き止まり、ふりだしに戻る。 4月に入ってからはまた新たに怒涛の選考ラッシュ。 読売新聞から内々定の電話を頂いた17日までのうちに、何の選考もなかった日はわずか3日間だけ。 東宝の1次面接では、事前に言われた簡潔にという言葉に戸惑い、何も具体的な話ができないまま終わる。 しばし放心状態だったが、凹む間もなく、2日後にNHKの1次面接が、そしてその翌日にNHKと読売新聞の筆記が迫っていた。

 5日、NHK1次面接。細かく区切られたブースで、1対1で20分ほどじっくり話を聞いてもらう。NHKの場合は志望職種の方が面接官をされ、あまりに丁寧に話を聞いてくださるので、思いの丈をぶつけすぎてしまったらしく、面接の最後に「しゃべるの早いね。」と言われ、絶対に落ちたと凹む。

 翌6日、午前中にNHKの筆記、午後に読売新聞の筆記。 結果的にこの日が私にとって大きな運命の日となる。NHKでは試験そのものより、40分ほどかかった最後の適性テストの方があまりにもまとまらず、これで落ちたと凹む。 読売では、論文のテーマが記者職は「米大統領」、業務職は「食べる」だったが、先に業務の方を見て記者のテーマを「コメ大統領」と読んでしまい、しばらく思い悩む。 10分後に気づいた時には、自分がそう発想したことにショックを受け、この先マスコミを受け続ける自信を失いかける。

 11日、読売新聞1次面接。あまりの手ごたえのなさにしばし呆然となる。が、およそ30分後に通過の電話を頂く。 12日、NHKの二次面接。約30分の1対1の面接が2回あった。 1回目の方に、最後に何か言いたいことはないか、と言われ、先述した我流の自己分析から導き出した考えを話すと、「それは放送管理にとって一番必要なことかもしれない」と言って頂き大きな励みになる。

 14〜15日にかけて1泊で読売新聞の支局訪問。 模擬取材体験や先輩記者の方々のお話が聞ける貴重な体験となった。 ここでは選考は行われず、17日に最終面接。 「舞台ばかり追いかけてきた人に記者が務まるのか」というようなことも言われながら、筆記の論文を評価してもらえた。 論作文は対策らしいことは何もできなかったが、序論と結論がズレず結局何が言いたいのかが伝わるように、ということだけを意識して書いていた。 どんなテーマにも当てはまるような自信作を予め何本か用意して試験に臨む人もいるようだが、「主張に筋が通っている」と褒めて頂いて、文章の巧さだけで合否が決まるわけではないと感じた。 ちなみに、論文の話になったので、「コメ大統領」と読んでしまったことも話す。 その日の18時頃、内々定の電話を頂く。この時点で、NHK以外の選考途中の会社は辞退。 その後すぐにNHKからも2次面接通過と最終面接の案内の連絡を頂く。

 19日、NHKの最終面接&健康診断。面接前に、人事の方が緊張をほぐしに来て下さったが、ここでも「しゃべるの早いね」と言われる。 そう言って頂いたお陰で面接時には意識できたのだが、今度は全く自分のキャラじゃない、「物静かな人だね」と言われ、絶対落ちたと凹む。 その2日後、人事の方より内々定の電話を頂いたが、あまりにも驚いて、「喜んでくれていますか」と聞かれてしまう有様だった。


就活を始める後輩へのアドバイス

 マスコミを受験するにあたり、私が意識して行っていたことは、新聞記事をスクラップするなどして自分の関心のあるテーマを深く考えることだった。 私は、何回面接を受けても、慣れるということは全くなかったので、自信を持って話せる話題を持っておく、ということは不安の解消にも繋がった。 また、自己分析の際には、「自分が今まで集団においてどういう立場で、どういう役割を果たしてきたのか」ということを掘り下げて考える必要性を感じた。 OGの先輩に言われた、今まで自分がやってきたこととこれからやりたいことが、過去の経験をもとに語れると説得力が増す、というアドバイスは、大きく視点が広がるきっかけとなった。

 後日、NHKの内々定式の時に、面接をして頂いた方とお話させて頂ける機会があったのだが、「事前に用意してきたことを喋っているわけではないな、ということが分かった」と言って頂いたことがとても嬉しかった。 面接とはいえ、目の前の面接官の方との会話を楽しむこと、私が面接で意識していたことはそれだけだった。 就職活動中は、何度もモチベーションが下がり、先の見えない不安に押しつぶされそうになったこともあった。就職活動の帰りに舞台やライブを観に行ったり、面接のない日にサークルの公演の手伝いに行ったり、旅行に行ったりと、好きなことは就職活動中もやり続けた。そんな気分転換を一緒に楽しんでくれ、さりげなく励ましてくれる周りの人や、電話での相談や報告を受け止めてくれる家族の支えがあったからこそ、私は最後まで就職活動に向き合えたのだと思っている。一人では何もできない、と就職活動を通して改めて感じたが、このことは仕事をしていく上でも繋がることだろうと思う。 「常に目の前の大学生活を楽しみ、関わる多くの人との時間を大事にすること」、これが、私が就職活動中最も大切にしていたことであり、自信を持っておススメできる唯一のことである。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。